2016年春の観察で思ったこと
6度目の春の観察で思ったことをまとめておこうと思います。
ムラサキツユクサの花の色について
「繁殖の結果による花色のばらつきと日毎の花色変化は意味が違う」
11年前の花をまた引っ張り出してきました。
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2005年5月の花=ウッドデッキ近くの大株 |
おしべの毛が見えればいいや…というだけのことでムラサキツユクサと名札のついた園芸種を買って植え付けたので「そもそもの遺伝子型」は???ですから、しかもそれを20年ものあいだ育て続けているとなれば、
ウッドデッキ近くの大きな株(元々の株)以外の場所で増え続けている子どもや孫そのまた孫たちは、放射能の影響が無くとも色味に幅が出て来ているはずだと思います。
そういうことも考えないといけないような気が、今日も三波石近くの花の色を見ながらいたしました。
2016.5.18三波石近くの花は青みが強い |
そういう意味では、2005年のオリジナルの花と現在の花の色を比較して放射線量云々について何か語ることは出来ないような気がしますが
一つの株について、その一つの個体に毎日起こる変化というものを比較することは環境に起こった変化を知る上でけっして意味のないことではないと思います。
ただし、エアカウンターの値が変化することと花の色や形に変化が起こるということに相関関係があるとは言いがたいということも同時に感じています。
これはエアカウンターの性能という問題というものが一つ考えられると思いますし、
また、生き物を相手にすることだと考えれば、測定する時間帯というものもあるかと思います。
もう一つは、こうやって原発事故によってばらまかれた放射性物質によってもたらされるような放射線は、実験室で照射する放射線とは異なるということがあると思います。
これは、放射線の種類が違うと言っているのではなく、放射線を出しているものが雨や風といった気象の影響によって移動する可能性があるのと、実験室のように照射する放射線の強さや時間ををきちんと管理できないので、
生物側の細胞分裂のどのタイミングでどれだけの強さの放射線がどのくらいの時間どこにもたらされるのか、全く分からないという意味です。それが日々の変化であろうと思います。
もっとも、これはあくまでも観察する中での印象に過ぎないわけでありますが。
一応、どんなときにそういう印象を持ったのかということも書き添えますと、
同じ日に同一の株に咲く複数の花の状態があまりにも異なっていた場合にそのような印象を持ちました。
一応、どんなときにそういう印象を持ったのかということも書き添えますと、
同じ日に同一の株に咲く複数の花の状態があまりにも異なっていた場合にそのような印象を持ちました。
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2011年5月の花 |
たとえばこの2011年5月の花ですが、この写真は同じ日に同一の株に咲く、しかも一群の蕾から咲いた二つの花ですね。二つの花はどちらも「花びらがヨレヨレであったり色がおかしい」と表現できますが、花びらのヨレヨレ加減も違うし色の濃さやムラの加減も違う。細かく見ていけば状態は全く異なるわけです。
二つの花は咲く前に、つまり作られる最中に放射線の影響を受けてこのような状態になったと考えるわけですが、
こんなに近くの二つの蕾であっても変異の結果は同じにはならないわけです。ですから、ごくわずかな位置のずれ、成長のずれ、そういう事がこの二つの花の見た目の違いとなった、そういうことではないかと思うわけです。
被ばくは外からだけでなく内部からも?
「内部からの被ばくを疑わせた事態について」
2012年の春の観察後の考察で、被ばくは外部からという自分なりの結論を出しておりましたが、それだけではなくなったのではないかという疑いを今年の春の観察で持つに至りました。
今年の観察をスタートさせたばかりの頃に咲いた花のほとんどが2011年から2012年の花のようでした。
今年の観察をスタートさせたばかりの頃に咲いた花のほとんどが2011年から2012年の花のようでした。
しかし、不思議なことに日に日に状態が回復していくのです。
ただ、考えてみればこれはおかしな事です。2011年に除染の努力をしたことはありましたが、無駄だ、とわかったのでそれ以降はあきらめて何もしておりませんから、わが家で測定される放射線は半減期で減少する以外、降下物によって増えることはあっても減ることはないはずだからです。
測定が出来ないので、これもあくまでも予想でありますが、
ムラサキツユクサは花を咲かせ種を作りそれを落とすことによって体外に毒物を放出しているのでは無かろうか、と思っています。冬の間にせっせと蓄えた良いものも悪いものも、子孫繁栄のための重要な生殖器官である花という部分に集中させ、そのことによって初めて咲いた花から何日か後までの花は「内部に蓄えたものによる被ばく」でとても悪い状態のものが咲くが、それを排出してしまった後に咲く花は良い花になるのではないか、と。
ただそう言っておきながら何か矛盾に満ちた表現になりますが、「子孫繁栄のために重要な」生殖器官である花に集中させたというわけではない気もしています。子孫繁栄のために重要であったからそこに蓄えたわけではなく、いち早く排出したかったからそこに蓄えたのではないかと。
植物が体内のものを排出する方法は、例えば気体であれば気孔からすぐに行うことが出来ますが、他の方法として考えられるのは例えば葉を落とすというような身体の一部を切り離すというということです。大昔、学校の教科書で、「不要物は液胞に蓄えている」と言い切っているのを読んだことがありますが(今はどう記述されているのかは知りませんが)、落葉によっても排泄していると最近は考えられていますよね。
植物ではありませんが、私たち人間は尿や胆汁を作ることによって排泄することになっていますが、重金属などは髪の毛に蓄え排出していることも知られています。生き物たちは、自分の身体からいち早く切り離せる場所に不要なものを蓄え排出しているのではないか、ムラサキツユクサもそうなのではないか、
そんな思いで今季の花の「日に日に回復していく様子」を眺めておりました。
ただそう言っておきながら何か矛盾に満ちた表現になりますが、「子孫繁栄のために重要な」生殖器官である花に集中させたというわけではない気もしています。子孫繁栄のために重要であったからそこに蓄えたわけではなく、いち早く排出したかったからそこに蓄えたのではないかと。
植物が体内のものを排出する方法は、例えば気体であれば気孔からすぐに行うことが出来ますが、他の方法として考えられるのは例えば葉を落とすというような身体の一部を切り離すというということです。大昔、学校の教科書で、「不要物は液胞に蓄えている」と言い切っているのを読んだことがありますが(今はどう記述されているのかは知りませんが)、落葉によっても排泄していると最近は考えられていますよね。
植物ではありませんが、私たち人間は尿や胆汁を作ることによって排泄することになっていますが、重金属などは髪の毛に蓄え排出していることも知られています。生き物たちは、自分の身体からいち早く切り離せる場所に不要なものを蓄え排出しているのではないか、ムラサキツユクサもそうなのではないか、
そんな思いで今季の花の「日に日に回復していく様子」を眺めておりました。